where the sidewalk ends

割と長文で泣き言をいうところ。

文章を書くこと

昔から、時折文章を書きたくなる。何かの症候でないか疑わしいほどにほとんど発作的で、宥めることはずいぶん難しい。同時に、あちらこちらへ飛び回りがちな意識を宥め押し留め文章に向かわせるのも、難しい。

板挟みの中で、カフェインやニコチンやアルコール、時には向精神薬の助けを借りながら、僕は無理やりにでも文章を書いている。

文章を書くことは良い。柔らかく甘くあたたかく、どこか少しくすんだ日なたのような、懐かしい匂いがし、そして何の役にも立たない。

自分でペンを握るのも良い。筆記具を選ぶところからすでに、あの、日なたの匂いは漂ってきている。鉛筆、シャープペンシル、ボールペン、万年筆、ガラスペン等々。何を手にするか考える。数えあげることが楽しい。ノート、罫線の有無、レポートパッド、メモ用紙、ルーズリーフ。

キーボードを叩くのも良い。汚い文字や下手くそな段落取り、バランス、そういったものを何も気に病まず文章を書くことが出来る。

文章は数少ない僕の救いのひとつである。