where the sidewalk ends

割と長文で泣き言をいうところ。

世界への基本的な信頼が欠けている。

嘘の、研究。

 
今際に臨んで思い出されるのは、僕の望みの成れの果て。
人生は不公平で、ダメな奴はいつまでも、永久にだってダメなままだ。奇跡はない。救いなんて無い。
もちろん、努力は出来る。だけど例えば仮にその何かを克服出来たとして、その時きっと彼らはもっと先に進んでいるだろう。
その中で、負け犬が生きる意味を感じ続ける事が出来るか?あるいは生きる意味を見失ったとき、もう一度探し直そうと自分を奮い立たせる事が出来るか?
やりがいを感じたり、輝いて生きる事の歓喜は、一切の躊躇も条件も留保も無く、ほんのいちどきにその身を、輝いて生きる事の出来ない悲哀や憎しみへと翻してみせる。
生きればより生きるほど、より多くの物を冒瀆していく者、の、世界に対して垂直に立つ事の出来ないひとつの哀れな恍惚はいつしか、熱をもって膿み、悪い夢を見るようになる。
 
世界に対する平衡感覚。
 
望むことと叶うことの間の距離が大きくなればなる程、膨れ上がっていく、世界への裏切り。
それを、狂気と、呼ぶべきだろうか?
 
黄昏、浮かぶ誰何の月。恨みを糧に歌う。