where the sidewalk ends

割と長文で泣き言をいうところ。

無題

目の奥が、ずぐんとしか形容できない音を立てて、悪い熱を持って、蠕動するのがわかる。

 

あんなにも憎んだ明日によって、僕らは報われている
多分、それは幸せなことなのだ。昨日より今日、今日より明日と、僕らは進んでいる。成長している。
あの日の後悔を覆すことのできる力を、僕たちは手に入れる。

 

スケッチ1

この静かな村で最も盛大な夏祭りの残響は、其処彼処に吊り下げられた提灯だけを名残に、例えば見渡せども構造部に突き当たる事のない空に、広大な裾野から一気に屹立する連峰とその陰影である木々の隙に、日々のあわいに、吸い込まれて消えていき、置き去られた提灯と僕の鼓膜の中に僅かなこだまが、晩夏の忍び込んだ風に吹かれるまま吹かれているのみである。

この風景の裏側にあるふるさと、の気配

文字は、

それが連なった文章は、

それが折り畳まれた本は、

それが積み上げられた図書館は、

そこに降り積もった埃と時間の、置き忘れられた古い家具は、

動かすことの出来ない、僕の安全の記憶だった。

長い間動かずに倦んだ空気や、明かり取りの窓の下で嗅ぐ、初夏の夕方の、あの味、そして薄暗がり。

遠くから聞こえてくる、車の通る音、渡る風、ラジオ、晩鐘、鳥の声。

 

世界への基本的な信頼が欠けている。

嘘の、研究。

 
今際に臨んで思い出されるのは、僕の望みの成れの果て。
人生は不公平で、ダメな奴はいつまでも、永久にだってダメなままだ。奇跡はない。救いなんて無い。
もちろん、努力は出来る。だけど例えば仮にその何かを克服出来たとして、その時きっと彼らはもっと先に進んでいるだろう。
その中で、負け犬が生きる意味を感じ続ける事が出来るか?あるいは生きる意味を見失ったとき、もう一度探し直そうと自分を奮い立たせる事が出来るか?
やりがいを感じたり、輝いて生きる事の歓喜は、一切の躊躇も条件も留保も無く、ほんのいちどきにその身を、輝いて生きる事の出来ない悲哀や憎しみへと翻してみせる。
生きればより生きるほど、より多くの物を冒瀆していく者、の、世界に対して垂直に立つ事の出来ないひとつの哀れな恍惚はいつしか、熱をもって膿み、悪い夢を見るようになる。
 
世界に対する平衡感覚。
 
望むことと叶うことの間の距離が大きくなればなる程、膨れ上がっていく、世界への裏切り。
それを、狂気と、呼ぶべきだろうか?
 
黄昏、浮かぶ誰何の月。恨みを糧に歌う。
然るべく葬り、弔うべき物々が、確かに存在する。
間違って生まれてきてしまったものの為に、僕は涙を流すのだ。
 

泣けない夜に

ああ、そうだ。世界の全てが呪わしい、こんな夜に、僕は煙草に火を点けたのだった。

僕の空虚を、埋めていた紫煙の

煙草を止めて、丸2週間になります。ずっと仕事してるからかもしれないけど、禁断症状らしい禁断症状も無く、実にスムーズに煙草離れ出来そうです。

何の価値も無いセンチメントではあるけれど、例えば空き缶を蹴り飛ばしたり、携帯電話を叩きつけたり、大声で罵倒する代わりみたいに火を点けたあの時から、煙草は僕の喜怒哀楽も、支離滅裂も、野放図で行き場のない寂しさや愛情も、慰撫し宥め、或いは鼓舞してくれた。
そういうものが自分の人生から無くなってしまうのは、ほんの少し寂しいような気がする。
よくみんな、百害あって一利なしと言うけど、僕にとってはそうじゃなかった。
そうではなかったんだ。

相手や場面が変わっても繰り返してしまう間違いや感情は、どうしたって逃げられない自分の業みたいなものなんだと思う。
責任転嫁出来ないそういうことにちゃんと立ち向かうのは本当にしんどいし、ものによっては放置していいのかもしれない。より良い自分とか、成長とか克己心みたいなものも必要不可欠だとは思わない。
だけど、それでも、自分の為や他人の為や、世界や環境の為や、理由すら定まらない何かの為に、一所懸命きちんとしないといけないこともある。
誰も助けてくれない、誰も介入出来ない中、孤独に立ち向かわないといけないこともある。
そういうの、人生ほんとしんどいなと思う。

これは、空虚だ。僕だけの、愛おしい空虚。